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立川談笑、らくご「虎の穴」『アルバイト』

 この記事は、本日公開された日経スタイルで連載中の

 『立川談笑、らくご「虎の穴」』

 の特別編です。

 

 先にもとの原稿をお読み頂ければと思います。

 

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その上で、僕の原稿を。

 

『アルバイト』

 

 これまで僕は色々なアルバイトをしてきた。

 マクドナルドの店員、治験の被験者、京都地裁の裁判長、自動販売機の中の人、ゴーストライターのゴーストライター、執刀医などなど、落語家という不安定な職業柄、三十歳を過ぎた最近までアルバイト生活は続いていた。

 一番最後までやっていたアルバイトは時報だ。

 117に電話をしたら何時何分と教えてくれる例の時報で長らく僕は読み手を勤めていた。

 落語家になって前座修行が始まってから、いつアルバイトに入れるかが不規則になり従来通りのシフトを組む事ができなくなってしまった。

 あらかじめ落語会の仕事がない日は分かるものの、いつ師匠や先輩から呼び出されるか分からないから、定期のアルバイトを続けることが難しいのだ。

 そこで入門してからしばらくは日雇い労働をしていた。派遣会社に登録をすれば前日でも次の日のアルバイトを紹介してもらえ、給料も日払いだったため、ギリギリまでスケジュールを空けておくことができたから前座修行中の僕にとってはありがたい仕組みだった。

 ところが前座修行を続けていくうちに、ありがたいことに前座として落語会に呼んで頂ける先輩との繋がりが増えてきて、ついには日雇い労働すら続けるのが難しくなってしまった。派遣先へ向かっている最中に、先輩から「3時間後に開演予定の落語会で開口一番を勤めて欲しい」と頼まれたり、派遣先での休憩中に「2時間後に稽古をつけてやる」と連絡して戴けれる機会が増えてきた。

 自分としてはもちろん落語家になるために修行をしている訳だから、優先すべきは落語会の仕事だったり稽古だったりだと分かっているものの、それでも派遣先の皆さんに迷惑をかけてしまう罪悪感に苛まれたり、もちろん途中で派遣先からいなくなることを続けていたらクビになってしまうし、それまで働いた数時間分の給料を受け取ることもできない。

 どうしたものかと悩んでいるときに、とある先輩から紹介して頂いたのが117での時報発話人の仕事だ。

 最初はテレフォンオペレーターだと紹介されたから、クレーム処理とかの仕事なのかと思ったらそうじゃなくて、掛かってきた電話に出て、目の前に表示されている時刻を

「午前9時28分丁度をお伝えします。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」

 と喋るという内容だった。

 117の時報は実際に人が喋ってると知らなかったから最初は驚いたけど、僕はすぐにこのアルバイトをやらせて頂くことに決めた。

 一番の理由はこの仕事が「分雇い労働」だったからだ。

 これまでやっていた派遣の日雇い労働だと1日、つまりは最低8時間とかを連続勤務しなくてはならなかったのに対して時報発話人は分雇い労働だから、最低5分間連続勤務すれば良いだけだった。

 これだったら「午前9時20分~午前9時45分」というようなピンポイントなシフトが組めるので、先輩からの急な落語会の依頼にも対応することができた。その上、給料も秒給0.3円と結構高めだったことも決め手になった。

 スケジュール的にはこれまでで一番優れたバイトだったけど、仕事の内容としてはかなり過酷だった。最初は「午前9時28分丁度をお伝えします。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」と喋るだけだから楽だろうと思っていたけど、全然そんなことはなかった。

 最初にぶつかった壁は息継ぎをしたらダメだというルール。

 時間通り、少しのズレもなく正確に発話することが難しいこともさることながら、そのために息継ぎをしてはダメだというのがとても難しかったし、物理的に苦しかった。

 細かく言うと、0.01秒単位であれば息継ぎをしても良いのだけど、そんな一瞬の息継ぎ方法を初心者の僕は習得していなかったから、とにかくタイムカードを押す前に大きく息を吸って、あとはひたすら一息で息が保つまで発話し続けるというのは大変だった。

 最低5分間は連続勤務しなければならないルールだったから、5分間も息を出し続けられるように肺活量と発声法を鍛える必要があったし、それができずに失神してしまう同僚もたくさんいた。僕は、学生時代に水泳をしていたこともあって、何とか5分間は最初から息を出し続けられたから5分働いては休憩して、また5分働いて休憩して、を繰り返すように勤務していた。

 2時間は楽に連続勤務できる先輩にコツを教わるうちに僕も20分くらいなら連続で息を出し続けることができるようになった。

 次にぶつかった壁は「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」を正確な音程で発話しなければいけないというルール。

 もちろんあの「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」の音程は正確に決められている。専門的な話になるけど、最初の3回は440ヘルツ、そしてポーンは880ヘルツと定義されている。

 分かり易くいうと最初の3回は低いラの音で、最後は1オクターブ上のラだ。

 まわりの連中は音大に通っている人など、絶対音感をもっている人ばかりだったから、この音程は難なく突破していたけど、もともと音痴の僕はこの正確な音程で発話しなければならない壁がなかなか突破できずにいた。

 出勤開始前に音叉を使って正確なラの音をとるものの、

「午前9時28分丁度をお伝えします」

 という部分は自分のトーンで発話しなければならないため、地声のトーンが低い僕はそこでラの音を見失ってしまい、ひどい時には

「(低い)ラ、(低い)ラ、(低い)ラ、(高い)ラ」

 じゃなくて、

「(低い)ファ、(低い)ソ、(高い)ド、(低い)シ」

 となったり、

「(低い)ファ、(低い)ミ、(低い)レ、(低い)ド」

 となってしまった。

 お客様から「音程がおかしい」というクレームが山ほど届いて、上司からもめちゃくちゃ怒られ続けたことを今でもはっきり覚えている。それでも音大生の仲間たちが休みの日に稽古をつけてくれたこともあって、最終的には

「(低い)ラ、(低い)ラ、(低い)ラ、(高い)ラ♭」

 までは発話することができるようになった。

 高音のラがどうしても半音下がってしまうものの、クレームの数は減ったし、それどころか、常連のお客様から

「あのお兄さんの少し落ち着いた時報がやみつきになったわ」

 と褒めて頂けることもあったし、僕を指名してくださることも増えた。

 つらいことも、(呼吸的に)苦しいこともあったけど、この職場で大事な仲間たちに出会えたことが一番の誇りだ。

 

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 他にも、これだけの原稿が集まりました。

 ゴーストライターのみなさん、お疲れさまです!

 

 http://tatekawakisshou.com/2017/06/17/student/