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2022年 夏。実業と虚業

 夏が終わろうとしている。

 

 まだこのあと1回くらい不意打ちの暑い日がやってくる覚悟はしているけど、一昨日から微かに金木犀の匂いが街に漂いだして、すっかり秋だ。

 

 この夏も相変わらず色々とあった。

 

 夏の始まりに書いたクイックジャパンの連載「落語のからだアナトミア」では、向こう数年、というか、生涯僕が向き合っていくことになるであろう大事なテーマが突然舞い降りてきた。それは「臨場感」の正体を突き止めるということ。ないはずのものをありありと描いてしまえる落語をアウトプットの核にしている落語家だからこそ、たどり着ける境地がある気がしている。

 これまで色々と思索を続けてきたけど、ここまで鋭い快感を伴う閃きは、現在落語論の第二章に結実した「落語を表現方法の1つとして捉えて、その特性に迫っていく」という切り口を思いついた時以来の経験だ。向こう何年もかけてこの問題と自分は向き合っていくのだと思う。

 

 そんな時期にソーゾーシーのネタ作りが始まったから、それではさっそくと味覚をテーマにしたネタを作ることにした。表向きは「食事制限ダイエットからの流れでこのネタを作った」ということにしたけど、実際は臨場感の正体を探っていく第一歩として、「なんで目黒のさんまなど食べ物が出てくる落語を聴いたら美味しそうに感じるのか?」「より美味しさを伝える方法は?」などという入り口から、最終的には「存在しないものの味を伝えることができるか?」という地点を目指しながらあれこれ思索を始めることにしたわけだ。このネタでは存在しないものの味を伝える手前として、存在はするけど普通は食べない「新聞」の味を伝えることができるか、というところまで掘り進めた。結果的にその部分は面白みを担保するべく記号的な大喜利で処理する形になったから、目指す深さまでは全然たどり着けていない。

 そういう途中過程を引き続きクイックジャパンの連載で書き残しながら、少しずつでも臨場感の正体に迫っていきたい。

 

 そんなことと並行して、昨年『潮』という純文学風エッセイを寄稿した「文學界」から、「今度は枚数を5倍くらいにして、創作で書いて欲しい」というオファを頂いたから、ほぼ初めてと言っていい短編小説の執筆も進めていた。

 これまで培ってきた自分の得意技を使うならSFだったりショートショートのような方法の方が合っているのは明白だけど、文學界からの仕事は自分なりの純文学で返そうと去年の原稿に取り組む前に決めたから、今回もそんなつもりで考え始めた。落語家としての自分と小説を書く時の自分とでは脳の使い方が全然違って、そこを日中は落語、夜中に小説とやりくりしてもそのギャップに自分自身が戸惑ったり、スイッチするまでにとても時間がかかったり、前日たどり着いたところまで潜る途中で朝になったり、と思うように進まず。ちょっと深く潜らなくちゃダメだと、たまたま重なった休みを利用して落語脳から離れようと行ったのが青森。奥入瀬渓谷を歩きながら、十和田湖畔を徘徊しながら、小説のことを色々と考えた。

 ようやくこれを描きたいと浮かんできたのは枯れ始めた落語家の話。老いと向き合い、抗い、最後は受け入れようとする、そんな物語を書こうと、書いては消してを繰り返した夏の盛り。結果的には現状の自分の筆力ではとてもじゃないけどこの物語を書ききる筋肉はないと判断して、だいぶ進めたところで全部ボツにして、背伸びせずに自分の得意技を使いつつそれでも精一杯純文学を目指して、という作品を書き始めた頃には、少しずつ秋の風が吹くようになっていた。

 結局、ソーゾーシー宮城公演の出番直前まで必死で文章と向き合い、締切ギリギリでなんとか完成させることができた。当初の予定とは大きく変わったし、もっと深いところまで書き進めるようになりたいと思いつつ、今できる精一杯は出せた。間も無く発売されることになる。

 

 ありがたいことに通常の落語仕事でたくさん稼働させてもらう日々の中で、作業場に戻るとやるべき様々な創作案件があって、それは自分が求めてきた生活だから充実しているけど、そこに急遽割り込んできたのがテイトのクラウドファンディングで。

 自分が器用に立ち振舞える人間だと、軽く告知ツイートを一発するだけでおしまいとなるのだけど、あいにく自分は向き合う以上は誠実にやらないと罰が当たると、親の教育でたぶん自分の一番根っこのところに罰の概念が埋め込んであるから、自分でもなんでこんなに大変な日々の中で、しかもこの濃度でわざわざ手伝っているのか、と不思議に思いながら、結局夏の終わりのわりと大部分を他人のクラファンに捧げることになった。

 

 本来自分は事務作業などの「実業」が得意な人間だ。論理的思考に長けていて、その演算速度もそこそこ速いから、時間をかけたら必ず答えを導き出せるタイプの仕事はサクサクとこなしていける。そして、そこに対してそれなりに報酬系が作動する脳構造でもあるから、ちゃんと充実感も得られる。

 一方で、そんな実業でなくて「虚業」を生業に行きていこうと決めてからの、もう20年近く、相変わらず夜通し8時間考えたにもかかわらず1つの設定も思いつかなかった、みたいな、そんな夜を普通に過ごす生活を続けている。実業と違って虚業は時間をかければかけるほど結果に繋がる、という確証のない酷な作業だ。時間をかけてもネタが思いつく保証はないし、どれだけ稽古しても上達を実感できる機会は滅多にない。でもだからこそ、結果に結実するかはわからないけど、せめてできることは費やせる時間の全てを費やすことくらいで、それは祈りにもにているのだけど、とにかく時間をかけて一瞬の閃きを待ち続けるみたいな、そんな地平でこれまで生きてきたし、それはこれからも変わらない。

 

 そんな自分にとって祈りにも似た大事な時間を割いてまで、なぜ直接自分とは関係のない実業にここまで執心するのかは論理的思考に長けた自分でも、さっぱり分からない。もしかしたらそれは「文七元結」で50両をポンとくれてやった長兵衛と同じような感覚なのかもしれない。僕は金はないけど実業のスキルは持っている長兵衛なのか。

 

 とにかく、今年の夏も相変わらず色々とあった。実業と虚業を行き来しながら、必死でそれぞれの案件と向き合って、どれもが無事に終わっていこうとしている。手応え十分のものも、もう少しやれたなと反省が目立つものもあるけど、とりあえず今持っている自分の力はちゃんと使い切った気はしているから、嫌な後ろめたさはない。

 今日はNHK新人演芸大賞の予選があった。明日には結果が出るらしい。緊張して、相変わらずの早間になってしまったけど「ぷるぷる」はどこに出しても恥ずかしくないネタだから、あとは結果を待つばかりだ。

 二週間後には渋谷らくごのネタ下ろし公演が控えている。連覇に向けて圧倒的なネタを持っていきたいと思っているけど、まだ全然進んでいない。その前に、食についてのコラムをこの数日で書き上げないといけない。真打計画ツアーが迫っているから、そこでのネタも準備しなくちゃいけない。こんな調子でこの秋も気づいたら終わっているのだろう。