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歩馬灯というネタ

・NHKラジオ『すっぴん!』で僕の『歩馬灯(ほまとう)』というネタが配信されている。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=2295_13
 
・歩馬灯は「死ぬ時に見る走馬灯がめちゃくちゃゆっくりだったら」というギミックのネタ。(走ってなくて、歩いているくらい遅い馬。)思い返すと『how to count one to ten』というポストロックバンドのアルバムにゲスト出演した頃に考えていたことが色濃く滲み出たネタだ。
 
・その頃「時間」について考えることが多かった。もっともらしく書くと「主観的時間と客観的時間ってのがあるよね」ということ。素直に書くと「楽しい時間はあっという間で退屈な時間は長く感じるように、時間の流れ方って全然一定じゃなくて変わりうるよね」みたいな。みんなが一定に流れている(と錯覚している)時間もあるけど、一方で本人だけが感じる時間の流れ方があるに違いないと。
 
・ハウトゥのメンバーと話していて面白いと思ったのは、彼らは3人がギターを担当しているのだけど、1人1人が弾くのはとてもシンプルで記号的なフレーズで、それが3つ組み合わせることで豊かなアンサンブルになるのだけど、曲を作っている奥原さんの頭の中にはとても高い解像度で完成形が見えていて、メトロノームに合わせてストイックに練習を重ねることで8分音符どころか16、32、64、128とたった1小節の中の1音の中の奥の奥まで3人のタイミングを揃えようしていると。で、良いライブができている時はそれぞれの息遣いまで共有できるくらいに小節の中に入り込めるのだと。
 
・そんな話を聞いて、その時僕が作っていた『ぞおん』というネタとの共時性に驚いたし、実際にコラボした『mathematics;re』という音源は、古典の『鮫講釈』を下敷きに、まさに「走馬灯」を題材にした。「時間が圧縮されていく」というセリフをそのまま採用しているし、時間の流れが変わり始める瞬間にはぞおんの番頭よろしく、ピャピャピャピャピャと喋っている速度が上がっていく音声加工が施してある。
 
・「時間」について考えていたあれこれを自分では「時間3部作」と捉えている。『ぞおん』『歩馬灯』『八五郎方向転換』という3席だ。ぞおんは「他人の主観的時間に干渉していく構造」。続く歩馬灯は「一人の主観的時間のみを描く構造」。八五郎方向転換はさらに突き詰めて次元を飛ばしたり場面転換を使わずに「ある一瞬を、15分くらいに引き延ばす構造」。
 
・そんなことを考えている状態で『吉笑ゼミ。』で実感放送という、ラジオでスポーツ中継をしていた頃に、アナウンサーが実際に目の前で試合が行われているフリをして実況中継をしていたことを知って、それってつまりリスナーに気づかれなければ100m走でヨーイドン!からゴールまでの実況を30秒使ってもいいことで、極端に言えば10秒弱の100m走の実況に1時間かけてもいいわけで。人間の認知って面白いなぁというところから、『一人相撲』という今一番得意にやっているネタに繋がっていく。
 
・加えて八五郎方向転換をちょうど構想している時にたまたま作業場に独立研究者の森田真生さんが来ることがあって、「数秒の出来事を15分くらいに伸ばすネタを作ってるんです」と意気揚々と語ったところ「吉笑さんはまだ時間というものがあると信じられているんですね」と言われた。当時の僕はその意味することがさっぱりわからなかったけど、最近「レンマ学」という本を読んで「なるほど、そういうことか」と少し分かってきた。時間が流れているというのは思い込みでしかなくて、次に自分が向かうべきところはそういう因果律から解き放たれた地平なのかもしれない。
 
・ただ、それは容易ではなくて、そもそも落語自体が喋ったことがどんどん繋がっていく線形の表現だから、そこから本当の意味で因果を取り払い縁起の世界を描こうとすると当然ながら脈絡などなくなってしまう。家元の「イリュージョン」とも近接してくるけど、ここについてはこれから色々考えていくことになるだろう。現時点ではどう向き合えばいいのか全く考えられていない。
 
・さて『歩馬灯』というネタ。ギミックがあって、その裏に思考があって、さらには「落語だからこそ」という必然性もあって(走馬灯の外側と内側とを頻繁にスイッチするのはコントでは難しい)、その上でバカバカしさもあるから、良いネタになったと自分でも思っている。(切り口が少し尖っているから聴く人は選ぶけど)。
 
・こういう、「ギミックだけじゃなくてそれが日々の思考に裏打ちされているもの」。そして「落語だからこそ表現できるもの」をもっと作っていきたいけど、簡単ではない。ちなみに今の思考的の関心は「縁起の世界を描いたもの」「生成と分解とを同時に内包しているもの」などだ。そしてそれを難しく高尚にアウトプットするのでなく、あくまでもバカバカしくネタとして成立した形で表現するのが僕のやるべきことだと思っている。