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2017年12月12日

イースト、今野徹さんの告別式へ。

 

色々と語弊があるかもしれないけど、僕にとって身近な方が急にお亡くなりになるのは初めての体験で、大人になって自分の意思で?告別式に伺う初めての体験だった。

喪服や数珠などは実家に置いてあって、東京の家には用意していなかったから今回揃えることになった。袱紗を用意するのを忘れていたから、着物を作った時に余った地味目な色の反物の切れ端を袱紗に見立てた。それくらい、こちらとしては、まさかのような出来事で、パワポカラオケ選手権の本番前にメールで知らせが届いた時は本当に目の前がチカチカした。

 

11月にあった『落語ディーパー』の打ち上げの時、腰を痛そうにされていた今野さん。てっきり、加齢による腰痛だと思ってしまった。思えば、声もかすれていて、ほとんど出ておられなかった。風邪だと思っていたけど、違ったんだ。

 

係の人になぜか、最前列に通されて、断るのも変だから、そのまま座った。

文治師匠、一之輔師匠、正蔵師匠という師匠方の隣に自分がいるのは変だと思ったけど、気にせず座った。

柔らかい笑顔をした遺影の中の今野さんを眺めながら、そんなに多くはなかったこれまでのことを思い出した。

 

一番初めは、まだ落語家になる前。僕がイクイプメンだった頃に、何かの番組でご一緒した記憶がある。小林武史さんのネオコラだったか、イースト制作の番組で今野さんともご挨拶した記憶がある。告別式へ向かう途中でのバスでご一緒した方は確か波多野さん。その時にご挨拶したことがある気がする。

 

落語家になってから、NHK Eテレの『おかあさん、ね〜お!』という番組でご一緒した。この時、しっかりご挨拶させて頂いたのは間違いない。収録現場だった成田東の保育園。思えば、今借りている作業場のすぐそばじゃないか。

 

それから、しばらくして、NHK Eテレ『落語ディーパー』に呼んで頂いた。

改めて考えて、立川流の中にも、古典をほとんどやらない自分よりももっと適した方がいるように思えるキャスティングで、なんで自分が呼ばれたのか、正直釈然としないけど、今野さんは「吉笑さんのそういうロジックの部分が番組の味になるんです」と言ってくださったっけ。

 

こちらとしてはとてもありがたいオファーだったけど、番組にとって貢献できたのかなぁと思いながら、お経を聞いていた。もしかしたら反発もあったかもしれない。もっと他の人をキャスティングするべき、という声もあったかもしれない。自分で考えても、番組のラストに一席もやらなかった自分がそこにいることはバランス的におかしいと思えてしまう。でも、そこにいさせて頂いた。真意はもう確かめようがなくなってしまったけど、とにかくそのことだけは誇りに思うことにした。

 

 

夜、渋谷らくご、喋っちゃいなよ。

コンプライアンス。正直仕上がりは良くない。負け戦。近頃、負けることには慣れてしまった。

他人が評価されているのを見ると、胸がそわそわするけど、自分が褒められるほど頑張れていないこともわかっているから、とにかくやり過ごすしかない。

そんな中、今日は無茶苦茶やってやろうと思った。落語ディーパーに自分が呼ばれた必然性を作るためにやれることをやろうと思った。告別式の帰り道に閃いたプロットを採用した。後半のくだりをたす。コラージュ的に色々なシーンを羅列する。マクラでの啓蒙オチをラストに持ってくる。コーヒーカップのくすぐりを3つ畳み掛ける。

 

それをやったところで、ネタの強度は足りていないから勝てっこないとわかっていたけど、それでも落語ディーパーに自分が呼んでもらった理由を作るためにガツンと勝負に挑んだ。

 

 

キャスティングは間違っていなかった、と思ってもらえるように、これから頑張らなきゃなと思った。もっと早くに気づけたらよかったけど。

 

ご冥福をお祈りします。

本当にありがとうございます。