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モテ期

 動き方が着実に変わってきている。些細なきっかけかもしれないけれど、こうして毎日ブログを更新しているのも何か役に立っている気がするし、まだまだ緩やかな変化でこの後どれだけ継続するかでその変化の度合いは変わってくるのだけど、僕の生活の傾きが少しは体感できるくらいに変わってきたのは間違いない。上向きなのか下向きなのかは別にして。
 まるで呼吸をするように落語をするという姿勢に憧れがあったし、周りにはそういう師匠方がたくさんおられるから自然とそういう感じに自分もなりたいと思ったりしていたのだけど、それよりも落語をすることってやっぱり僕にとっては非日常だし、だからこそギリギリに楽屋入りして着替えて何事も無く高座に上がるということが粋だとされている価値観の中で自分は毎高座力んで準備をし、力んで高座に上がろうと思う。その非日常性を自覚してもっと楽しもう。

 以前尊敬している先輩に、「チラシを配りたいと思える会にしか出ない」と教えてもらったことがある。なるほど、呼吸をするように落語ができるようになるためにはそれこそ場数が大事になってくるし、そうなってくると正直そこまで思い入れの無い会を「こなす」ような感覚でやる必要もあるけど、そこを放棄して毎高座非日常性を楽しむことに決めたならそういう必要もなくなってくる。とはいえもちろん生活するためにお金を稼がなくてはいけない以上はそこの線引きが難しくなってくるのだけど幸い今の所、何とかなっている。同年代の友達に比べたら圧倒的に収入は少ないけれど、アルバイトをしていた学生時代の時と同じくらいは収入があるし、僕一人が暮らす分には当面のところそれで十分だったりする(仕送りするどころか、親のすねをかじるのは前提として必要だけど)。
 そんなこともあって「今は鎖国状態のつもりでいます」みたいなことを高座でポツポツ言ったりしているけれど、正直なところ特に色々な落語会に呼んで頂けないから、という原因もあったりする(笑)呼ばれないことを棚に上げて自発的に出ていないと言い張る、という。まぁ、そんな所に意味はないけれど、それでも少しずつペースが安定しつつある。自分が運営に関わる会を軸に、以前からご縁のあるものや主催者の熱量が見てとれるオファーは前向きに引き受けつつ、それ以上に無理をしてでも会に出ようとはしない、というスタンス。異論はもちろんあると思うけれど、とにかく自分はそれで良いと思えているから、それで良いのだ。人それぞれに見合った動き方があってしかるべきだから。

 
 昨日は『噺家が闇夜にコソコソ』のオンエア日。編集されたものを見ていないから部屋でドキドキしながら見る。当たり前だけどプロの編集が加わった映像は紛れも無くテレビになっていて、心から楽しんで見てしまう。「檀蜜さんの元彼に僕が似ている」というクダリをオンエアして頂き、ほくほくしている。教えてもらった時は「まさか自分が」と驚いたけど、これがきっかけで小学生以来のモテ期が来てしかるべきと思っている。どういうロジックかというと、テレビを見ていた女性(25歳前後のOLさん)が、素敵だなぁと思ってる檀蜜さんの昔の彼氏に似ているということは、この立川吉笑という人と付き合えたらそれはもはや私は檀蜜さんと同じくらい魅力的な男性だと思い込む、ということ。そのミスリードを期待して早速高円寺の街を昼間闊歩したのだけど、何にも起こることは無かった。花粉症なのにマスクを外して、普段かけるメガネを外してコンタクトにして、そこまでして闊歩したにも関わらず、逆ナンはされなかった。代わりにいつも喫茶店で隣の席に座るおっちゃんから「昨日見たで」と言われた。モテ期はまだか。