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楽屋ばなし#66コメンタリー

 早くも3月。本当に早すぎるなぁ、なんだこれ。
 ということで土曜日は楽屋ばなしのコメンタリーと称して、音声を聴きながら時系列で思ったことなんかを書いていきます。今は1日の午前2時。このあと、3時前からテレビを見なくちゃいけないから、それまでの間にコメンタリーをやっちゃおうと思ってパソコンを立ち上げた。もっと言えば、今日の13時から楽屋ばなしの収録があるので、そちらに向けて体調を整えなくちゃいけなくもあるのだけど、大丈夫だろうか、6時間寝たい。例に漏れず、ネタばればっかりなので、先に音源を聴いてから呼んで頂ければと思います。

楽屋ばなし#66(見ざる言わざる聞かざる)
http://gakuyabanashi.seesaa.net/

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 今回は前の3本を取ったあと4本目に録音したのですが、時事絡みの3つを録り終えてちょっと休憩している時に春吾兄さんが「何か違うパターンで喋りたいなぁ」と言うようなことをおっしゃって、色々と考えてのだけど、以前一度、それこそ「談志・円鏡の歌謡合戦」のようなスタイルで録ったりしたこともあったのだけど、ああいうノーモーションで言葉を羅列するのは僕がとても苦手だったので、今日もまたあれをやる流れになったらキツイなぁと思ったので「じゃあ僕から話し出します」と提案して、今回の形になったのだった。冒頭すぐに提案する『見ざる言わざる聞かざる』というテーマは少し前に落語の種に使おうと思っていたけどほったらかしにしてあって、ちょうどここでなんか広がったら兄さんに言って、ネタにさせてもらおうかな、などと思いつつのことなのでした。

 いつもは大喜利のお題を設定せずに流れで話しながら面白みを探していくのですが(大喜利の雰囲気になるとどうしてもキツイから)、今回はあえて分かり易い問題提起をして、二人でその場で頭を捻ろうという思惑での話し始めでした。僕も何にも考えられてないからほぼ兄さんと同じ立場なのですが、ぼんやりと方向性としては『見ざる言わざる聞かざる』の言葉ありきで、猿を犬にしたら『見いぬ言いぬ聞きぃぬ』みたいな感じになるように、色々な動物で試していって音を楽しんだり、無理やりなところを楽しんだり、という流れか、「見る・言う・聞く」という動詞をもっと違うモノにしていく流れか、大体そのあたりであとは二人で言葉探しをやっていく回なのかなぁ、などと思っていたのですが、序盤から思ってなかった展開になったのでした。

 さてここから、音源を再生しました。
 すぐに気付いたのですが、どこかの居酒屋で見たのかなぁ、あの「見ざる言わざる聞かざる」の人形がなぜか僕はとても好きみたいで、たぶん口を押えている猿が特に好きなのだけど、いまもあの人形がすぐに浮かんできて、それを想像しながらもうニヤニヤしてるような、そんな感じです。だから、これから喋ってる間、ずっと僕の頭にはあの人形、木彫りかなぁ黒くて光沢ある感じの、あれが思い浮かんでいる感じですね。
 で、何気なくしゃべってる『猿が嫌い』とか『見ないでいることとか聞かないでいることとかは好き』という言い草は面白いですね、訳が分からない。

 『見ないとか聞かないとか言わない、の人形は欲しいけど、全部サル』も自然体で喋ったけど、聴いたら面白いですね。何を言ってるんだこいつは。

 兄さんがまずはキリンを例にだして「キリンだと目をおさえられない」というロジックを話しだされた時点で、「見ざる言わざる聞かざる」を音で遊ぶという僕の描いていたものからズレて、動作として「見ざる言わざる聞かざる」と向き合う流れになりました。いきなり想像とは違う方向へ進みましたが、それはそれで面白そうだとすぐに思えたからノータイムでそっちへ乗っかりましたね。すでにキリンの木彫りで黒くて光沢のある人形を思い浮かべましたけど、その時点でやっぱりちょっと面白いですね。というか、単に動物が好きなだけなのかも。
 そして話しながら『見ざる言わざる聞かざる』をキリンで置き換えて何か気持ちよく言えないかなぁとは考えていたのですが『見キリン』など、どうにもならないな、とすぐに気付いて飲み込んでいるところですね。

 「四足歩行はきつい」という兄さんの一言で、僕がすぐに「人間」と口ずさんでいるけど、ここは兄さんのおっしゃった「魚」の方が正解でした。動物から魚の方が順を追えるから。
 目を閉じる=見ない、としたら、口を閉じる=言わない、になる、という至極まっとうなことに気付いたのですが、それを認めると、もう話しがしにくくなるから兄さんが「手で押さえるところに意味がある」と流れを整えてくださって、その時に、「×印マスク」という具体例を思いついたから、ここで一気に話題を射程圏内に取りこめた感じがしました。

 さすがにいつも以上にアイドリング時間が長いですが『ズルくなければ』みたいな部分も何かとっかかりになる気がしつつ、でも決めてに欠けるからどうにも進路が取りにくいなぁと思ってるところで、僕が出した「虫」は、これも木彫りの虫の人形で、この場合僕は殿様バッタを描いているのだけど、細い手で大きな目を隠してる感じがツボなのだった。
コメンタリー書きながら今気付いたのは、たぶんそれが面白いと思うきっかけは長尾謙一郎さんの「おしゃれ手帖」なのだと思う。それこそ殿様バッタが(あと、カタツムリかな、とダンゴ虫だったかな)ある物を見ようとするシーンがあって、その感じがとても好きなので、それが潜在意識に残っていたのだと思う。
 一方兄さんがすぐに「セミ」と提案されたのだけど、これは兄さんファンの方はご存じだろうけど兄さんはセミ好きなので、無意識で出たのだと思う。こういう風に何もない状態でよーいドン!で言葉を出そうとしたらどうしても好きなものとか自分に近いものを出してしまうのだけど、家元が凄いと思うのはそれを限りなくランダムに機械的に言葉を出せるところだと思っていて、それは春吾兄さんもまだできる方だと思うし、近しい人で言えば談吉兄さんなんかは特に得意なんだと思うけど、僕はそれがとても苦手で、だからネタを作るときとかも、ポーンと言葉を飛躍させることができないから、いつもネチネチと少しずつ飛躍させるのを何回も繰り返して、その後で最初と最後を選ぶ、みたいな方法を取っていて、そうすれば見かけ上は飛躍できるから問題ないのだけど、最初に書いたように歌謡合戦みたいなリアルタイムで言葉を飛躍させるのは致命的にできない。
 試しに家元が寝る前に布団の中でやっておられたという、とにかく、全く関係ない言葉をリズミカルに言い続ける、というのをやってみたら、それがどれだけ難しいか分かる。すぐに関連ある言葉を言っちゃうし、僕は高校までやってたからだろうけどすぐに野球の言葉を言おうとしてしまうクセがあったりする。などなど、ちょっと脱線しすぎた。

 セミ→複眼で、「めっちゃ見える」みたいな言い草も聴いてみたら面白い。言葉が拙いのは面白みにつながるなぁ。兄さんも面白みに気付いてるから二人でちょっと味わう時間があった。その後の兄さんが出された「カマキリ」。これも画を浮かべたら面白い。だって、手がカマの形をしてるもの。そして、兄さんファンの方はお気づきの通りそういうネタを作られているように、兄さんはカマキリ好きだ。やっぱり好きなモノが土壇場では出てくるみたいだ。

 「触覚」みたいな言葉を出して、兄さんの「触覚を抜く」から、色々と広げようと二人とも思っているのだろうけど、もう全然思いつかない状態になっていて、ただただ停滞していて、そこで僕が出した「馬」も、楽屋ばなしに何回も登場してるし、午年だし、やっぱり近いところから言葉を引っ張ってきてしまっている。

 そこでの「ペットボトル」は手法として我々が好きなパターンなので、切り札を使っちゃった感があったのだけど、もう背に腹は代えられない感じ。物に行っちゃったら飛躍度的にはかなり行き切ってるから、ここでもう終わらせるくらいの感じになっちゃう。
 僕は頭の中にずっと、ペットボトルがサングラスをかけてる画が浮かんでいて、これはたかじんさん=ポットにサングラス、の流れなのだと思うけど、ずっと、それが頭から離れていない感じで、そんな中で無意識に言った「聴けるぞ、という感じは欲しい」という言い草、これもまた稚拙で面白い。今回はその笑いが目立ってる感じだなぁ。
 
 ここでちょっと空気が緩和されたからすぐに兄さんも『パンは?』と提案されて、ようやく空気が流れ始めた感じ。で、今聴きながら思ったのは、ペットボトルの人形なんかあってもしょうがないだろ、ということで、そういう当たり前の指摘を現場でやれれば良かったのになぁ。

 といいつつ、すぐにまた停滞。こういう時、どう感じていたのだろう。何も思いつかない、とは認識しているけど焦ってすらいない感じかな、僕は。たぶん脳みそが疲れて止まってたのだろう、ずっと兄さんの言った言葉をなぞってるだけ。完全に休んでる。
 亀が穴の中から覗いてる、というのはちょっと好き。喋りながら穴にコルクを指してフタしている画が浮かんでいたのでけど、うまく口にすることができなかった。

 ここで「人間」に戻ってきて、僕はすぐに「おっさん」が浮かんでいたのだけど、それをどう言おうか頭で考えている状態。そんな中で、人形に引っ張られて心にもなく「アイドル」と言うも、やっぱり違う。兄さんが「都知事」。さすが、言葉の引っ張りだし方は面白いけど、まだ違うなぁ。都知事きっかけで、「よく喋る人が言わない感じ」というロジックを引っ張りだしてきた流れでの兄さんの「落語家」。これでブレイクスルーした感じ。「落語家」と聞いた瞬間に高座で正座してる人形の映像がバンと浮かぶから、その時点で落語家が口を押えてたり耳をふさいでたりしているしている様子を思い浮かべて、それはちょっと面白いもの。
 その流れで映像が降りてきた「モノマネ歌合戦の審査員」、これが最後の最後でようやくたどり着けた正解。「モノマネ歌合戦の審査員(主に野口五郎さん)」がモノマネ歌合戦中に見ず・聞かず・言わずの姿勢をとる、というのは気持ちよく着地が決まった感じ。

 と、今回は時間もぴったりと、最後の最後ので着地が決まったから良かったのだけど、もし最後のくだりが無かったから確実にお蔵入りになっていたくらい、楽屋ばなしは難しいものだったりする。回数を重ねるうちに何とか形にする方法を徐々に掴みつつあるから、以前に比べると正直ボツの数は減ってきたけど、それでもたまにはこうやっていつもと違うやり方で喋るの楽しいものだなぁ。