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仮想大学

 先日行われた森田真生さんのイベントにゲストとして来られていた原研哉さんのエッセイ集を読んでいて、そのどれもがきっちりと一本芯で貫かれた内容なもので、自分もたまには地に足つけて落ち着いた文章を書きたいなぁと思わされた。
 去年の12月から、1年間毎日更新しようと決心して、いまで2ヶ月あまりが経過した。途中、一度更新が数分、日を跨いでしまったりもしたけど、何とか続けられてきて、上書き更新し続けているワードファイルは今で104ページ目、文字にすると12万字に迫ろうとしている。最近はブログを書くことが生活のリズムになり、すらしなくなってきたほど、自然とワードを立ち上げて、ブログを更新している。
 そもそもは、何かを継続することが極端に苦手な性格?性質?を矯正するために、決めたことを決めたようにやりきってみようと、いう思惑で毎日更新を始めた。そして、ただ1行、2行など、ちょっとした文章で毎日更新しても訓練にはならないと思ったので、漠然と1500文字くらいを基準に据えて、忙しい日は少なく、書ける日はもっと多く、とある程度の量の文章を書くようにしている。
 とはいえブログの更新で多くのリソースを持っていかれるのは本末転倒なので、大体20分くらいで、特に考える事なく書くようにしていて、そうなるとほとんど一筆書きのようなことになってくる。書ける内容も、日々、そんなに動きのある生活をしている訳でもないから、ずいぶん同じようなことを反復して書くようになってきていて、まぁ、それは自己洗脳というか、先々の目標とか理想像を繰り返す書いているうちにどんどん思い込み具合が強化されている気がするから良いのだけど、それにしても、原さんのエッセイを読んで、自分も地に足ついた文章を書きたいなと思ったのだった。
 去年から高田先生の紹介で落語ファン倶楽部という落語雑誌にエッセイ?を書いていて、そんなときはもちろん時間をかけてしっかりと書いているのだけど、毎回、思っていたよりも時間がかかってしまう。書きたいネタ探しをするだけでも時間がかかるし、それを一度書いてみて、流れを再構成して、また基本僕の文章は無駄なノイズが多いから自然と文字数も増えてしまうからそれを削って削って、していくうちに、気が付いたら想定していた以上に時間が経ってしまう。
 今の所、月曜日は週の予定などを、土曜日は楽屋ばなしのコメンタリーを、と、継続の訓練をしていく上でさらに細かいルーティンワークに慣れる訓練も始めていて、だとしたら例えば曜日を決めてこの日は地に足付けて文章を書く、という風にもう1つルーティンを増やしても良い気もしたのだけど、毎週1回それをするのは労力がかかりすぎるなぁ、などと思っている。自分の目線を加えた文章を書くためにネタを探すことは、そのままマクラでも話せるネタになる可能性が高いから実用性は高いとはいえ、自分で勝手にやってるこのブログで、そこまで苦労をすることはまだ僕の継続力では無理で、すぐに穴を開けちゃうし、一度穴を開けるとこれまでの積み重ねも台無しになる気がするから、まだもう少し継続力を身に着けてから挑むべきだなと思っている。

 以前ブログにも書いたと思うけど、色々思うところがあって、来年、大学を受験しようかと考えていたのだけど、森田さんに「止めたほうがいい。それに大学に行かなくてもいいと思えるような知り合いを紹介してあげますよ」と言って頂いて、それなら、と大学は行かないことにしたのだけど、確かに森田さんの側にいさせてもらったら大学に行く必要はほとんどない気がしてきた。というか、勝手に森田さんを僕にとっての大学に見立てて、そこで話題にあがった本なんかを片っ端から読むように心がけているのだけど(原さんのエッセイ集もその一環)、すでにいま抱えている勉強対象だけでもプラトン、龍樹、ゲーデル、禅、オートポイエーシスと多岐に渡ってきていて、基本的に無知な僕は例えば龍樹について勉強するためにまず「マンガでわかる仏教入門」みたいなレベルから下地を作っていかないとダメなので気が遠くなる話だ。また厄介なのは森田さんと接する度にどんどん新しい勉強対象が増えてしまうことで、すでに買うだけ買って全然読めていない本がめちゃくちゃ増えてきた。こないだはプラトンのメノンという本を買って、全然分からないなぁと思いながら読んでて、ひとまず「メノンを読んでます。全然分かりません。」と森田大学で僕に哲学を教えてくれている下西さんに報告をしたら、メノンもいいですけど、プラトンならパイドンも読みましょう、とさらに課題を増やされてしまったのだった。
 最底辺からではあるけれども、すでに上を見上げては知のオープンエンド具合にぞっとしているところだ。