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銀杏BOYZ

 楽屋ばなしの収録に行ってきた。今年になって初めての収録は、会場の都合もあって短時間でさくっと、という感じ。あいかわらず難しい、でも楽しい、という。テコ入れしようか、このままいこうか、兄さんと話していて、どうなるかまだ決めきれてませんけど、今年もよろしくお願いします。
 そういや15日は銀杏BOYZさんのアルバムの発売日だったと思い出したので、池袋タワレコへ行くも、すでに閉店していた。遠回りになるけど新宿のタワレコに寄って買って、今帰ってきたとこ。で、思い立って、ユーストをしている。ただただ僕がCDを聴くだけの。もしかしたら1枚聞いてる途中に普通に泣いてしまうかもだから、その姿をネットで配信できたら面白いなぁと思って。いまは書きながら聞いているから、まだグッときてはいない。
 
以前のブログで、銀杏BOYZについて書いたことがあった。2012年3月12日。http://tatekawakisshou.seesaa.net/archives/20120312-1.html。

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2012.03.12 青春時代

さぁてブログを書くかと思ってパソコンの電源を付けた。
めかぶでビールを飲みながら。

電源をつけてから、
イーモバイルにつなぐためのUSBがカバンにあることに気付いたから
これ幸いと例の如くメモ帳に書くことにした。

かっこいい文章を書くのは携帯か、フォントを小さくしたメモ帳に限る。

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最近はブログの更新をサボりがちで、良くないと思っている。
バタバタしているからでもあるけどまぁサボってるのが多い。

とはいえ、昨日は説明会関連で書こうと思っていることがあったから
ちゃんと更新するつもりだったのに無理だった。

何か一言添えるだけでよかったのに、
その添えるべき一言が思いつかず、

というか思いつく言葉のどれもがあまりにも嘘っぽくて、

でも何にも触れないというのもまた違和感があったから、

結局その日は更新しないことにした。

僕は逃げたのだった。

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たまに良いと思う記事もあるけど、総じて自分のブログはつまらない。

本人がつまらないと思っているのだから、
これを読んでいる皆さんはもっとなのだろう、申し訳ない。

本当はもう少しくらいならマシなブログを書ける人間だと思っているのだけど、
まぁ色々あるのですよ。いや、そんなに無いか。
前座という枷の影響はやっぱり大きいけれど。

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覚えている範囲で僕が一番最初に好きになったブログは、
銀杏BOYZの峯田さんのブログだ。

峯田さんのことはゴイステの時代からまぁ好きだったし、

1年しか通わなかった大学で所属していた軽音楽部でのバンド活動で
「BABY BABY」とか「青春時代」とかをコピーしたりもしていたのだけど、

銀杏BOYZになってからの峯田さんのブログを読むようになってから、
よりのめり込むようになった。

以前、師匠の月例独演会での根多『自我の穴』での演技を、
普段の僕のトーンからだと想像もつかなかったと言われたことがあるけど、
あのチャンネルは完全に峯田さんの影響を受けている。

それくらい、初めて観た峯田さんのパフォーマンスに圧倒された。

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僕がまだ京都に住んでいた頃の
峯田さんのブログは神がかっていた。

毎日毎日すごい量の文章をすごい熱量で書き殴られていて、

ブログが更新されがちな夜中の2時から5時くらいの間
パソコンの前にへばりつき定期的にリロードし続けた。

タイミングよく更新直後にブログを読めた時は
なんだか峯田さんと繋がれた気がして妙に嬉しかったのを覚えている。

『夜中に高円寺を歩いていて、昔を思い出した』

とか

『誕生日プレゼントとしてメンバーに引越しさせてもらった』

とか

『下北ディスクユニオンの裏の路地でメンバーとケンカした』

とか

『中野の公園で撮影するからエキストラ募集中』

とか、

その日あったこと、考えたこと、
そして思い出した昔話などなど、

本当に内容の濃い毎日の更新で、

東京にいればもっとこうグッとくるのになぁ、と思っていたのを覚えている。

そういや、峯田さんとチンさんでかな?
横浜の方に家元の会を観に行かれた日のブログもよく覚えている。

峯田さんは家元好きで、
当時の僕はまだ家元、というか落語にハマる前だったので、
好きな峯田さんが尊敬している方、という風に家元を認識していたのだけど、

念願かなってようやくチケットが取れて会へ向かっていたその道中で、
遅れそうなのにウンコをしたくなって、
どうするか悩んで、
結局ウンコにも会にもなんとか間に合ったこと。

初めて生で観た家元が凄く優しそうだったこと。

最後、客が会場から出るまで家元がひたすら高座の上で
手を振ったり写真に応じたりしてくださっていて感動したこと。

そんな事が書かれていた記憶がある。

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そんなおり、僕は仕事の関係で上京してきた。

最初に住んだのは井の頭線の駒場東大前駅近くのマンション。

この頃の話はまたいずれできればと思っているのだけれど、

仕事の関係でなんとその峯田さんとお会いすることになった時は、

嬉しいというか、なんかよく分からない変な気持ちになった。

夏の、暑い時期だったのは覚えている。

仕事の打ち上げとして下北の居酒屋で飲んでいたその場に峯田さんもいらしていた。

大人数の打ち上げで、また自分は一番年下だったので肩身も狭く、
そんな状態で大好きな峯田さんにこちらから話しかけることなど
もちろんできるわけがなかった。

周りの先輩方に気を使っているフリをしながら
遠めに峯田さんの事を見るのが精一杯で、
ブログで読んでいた通りジンジャエールを飲んでらっしゃる姿を見るだけで、
無性に嬉しかった。

ただのストーカーだ。

大人数での一次会が終わり8人くらいだけで二次会として先輩の家で飲むことになった、その8人の中に峯田さんもいた。

連日の仕事明けだったので、2時3時と時間が経つに連れて
1人2人と仕事仲間が寝落ちしていった。
僕はもちろん寝る訳にはいかなかった。

2DKのうちの一部屋は雑魚寝スペースになっていて、
もう一方の部屋でひっそりとバカ話をしていた。

深夜の下北で、お酒を飲みながら皆でワイワイする
なんていうのは、京都にいたころはそれこそ憧れだけの世界だったので、
そこに自分がいることが不思議で、
そう客観的に認識する度にニヤニヤしていたように思う。

つくづく気持ちが悪いヤツだ。

4時5時とさらに時間が深まったころに、
先輩の一人が、

『こいつ、峯田くんのすごいファンなんだよ』

と急に橋渡しをしてくださった。

というか、いじりの一環だったので恥ずかしくもあったのだけど、

酔っ払っていたこともあり、
いかに影響を受けたのか思いの丈をひたすら告げた。

峯田さんは素面だったからヒカれてもおかしくなかったけど、

『はは、ありがとう』

と軽く受け流してくださった。

懐の深い峯田さんは僕に向けて色々な話をしてくださった。
また同じくらい僕の話を聞いてくださった。

『どこに住んでるの?』
『駒場東大前です』
『あぁ、あそこの公園よく行ってたよ。』
『そうなんですか?』
『ずいぶん前だけど、あそこで○○○○○○○○よ』

ここではとても書けないような思い出話がすっと出てくる引き出しの豊かさに
夢見心地ながら、やっぱり凄い人だなぁと思ったりした。

あれから5年くらい経った今でも僕はあそこで○○○○○はできていない。

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結局1時間半くらいかなぁ、二人でひたすら話させてもらった。

気がつくと先輩方はほとんど寝ていて、外は明るくなっていた。

『そろそろ帰ろっか』

という峯田さんの一言で、一緒に帰ることになった。
もう人生の絶頂だなと思った。

『どこに自転車止めてるの?』
『スズナリの横の路地です。』
『あぁ、あそこで昔メンバーと大ゲンカしたよ』
『はい、ブログで読みました』
『そっか。』
『はい。』
『じゃあそこまで歩こうか』

と二人でサンダルをペタペタさせながら
午前中なのに陽射しがまぶしい下北の街を歩いた。

峯田さんにとって何気ないその一瞬が、
僕にとっては紛れも無く峯田さんのブログで読んでいた、峯田さんの日常の一部だったので、
それだけで泣きそうになった。

夏休みなのだろう、平日なのにラフな格好をした高校生らしき女の子が、

『峯田さんですよね?握手してもらっていいですか?』

と声をかけてきた。

『あぁ、はい。』

と女の子に握手しながら

『いつもはこんなこと無いんだけどね。』

と照れくさそうにおっしゃった。

その一挙手一投足が、当たり前だけど
紛れも無く峯田さんそのもので、
そんな風に思っていることを悟られないように
ペタペタ歩いた。

いよいよスズナリが近づいてきて、

『あぁ、もうちょっとだな』

と残念に思いながら、
少しでも色んなことを聞こう話そうと会話に夢中になっていた。

スズナリについて

『じゃあ僕はタクシーで帰るから』

とタクシーに乗り込む峯田さんを見送っていると

『あっ、そうだ。連絡先交換してもらっていい?』

と、優しい峯田さんらしい言い回しで電話番号の交換をさせてくださった。

『いつでも電話してよ』

と言い残して茶沢通りを消えていく峯田さんを見えなくなるまで見送ってから、
ウォー!!と大声を上げてガッツポーズをして、
立ち漕ぎでスズナリ横の坂を上りきり、家へ帰った。

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その後しばらくして、
ニュース23でのパフォーマンスに驚かされて、
初めて電話したのを皮切りに、何回か連絡したりした。

『光』感動しました、みたいなだけで電話したりもして、
峯田さんはその度、色々な話を聞かせてくださって、
僕はその度、優しい方だなぁと感激した。

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あれから数年が経って、
まさか自分が落語家を目指して弟子入りするなんて思ってもいなかったし、
ついには落語家になれるなんて想像もしていなかった。

先日、二ツ目昇進が決まったことで、
ちょうど区切りもイイかなと思って久しぶりに峯田さんに電話をしてみたら、
電源が入っていないとのことだった。

時間帯を変えて連絡すれば繋がる気もするし、
もしかしたらすでに携帯が変わっているのかもしれない。

が、どちらにせよ、
また共通の知人を通して連絡を取ることもできなくはないけれど、

とりあえずこのままにしておこうと思っている。

僕は運が良い方なので、いつか高円寺なり中野なり、
また他のどこかかもしれないけれどバッタリ会える気がしているし、
そのバッタリあった時に、

『落語家になりました』

と報告して峯田さんを驚かせてみたいから。

僕が落語家になったと知った峯田さんはたぶん

『えぇ?ほんとに!?』

と凄く驚いてくれて、
その後、また色々な話を聞かせてくださるのだろう。

そしてその時には、峯田さんに
なぜ家元の事を好きになったのかだけは聞いてみたい。

いまや、僕の方が家元の事が好きだと思うけれど。

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いつまでも青臭くいれれば良いなと、
こないだ笑ニと飲んでる際に久しぶりに引っ張り出した
銀杏BOYZのDVDを観て、そんなことを思った。

えっ? 『こんなこと書く暇があったら稽古しろ?』
すみません、そのとおりです。
えっ? 『交友関係を自慢するな?』
すみません、そのとおりです。

でも何だか今日は書きたかったのです。

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 何年前だろうか、8年とかかなぁ、まだ20歳そこそこの僕はヨーロッパ企画という劇団の「冬のユリゲラー」という芝居に出演させて頂いた。大阪公演に続いて、東京は下北沢にあるスズナリという劇場で公演をしていた時に、銀杏BOYZの4人が見に来てくださったのだった。元々ヨーロッパ企画さんと銀杏BOYZさんは親交があったので、何もヘンなことじゃないけど、大ファンだった僕はとても驚いたのを覚えている。
 あれからずいぶん時間が経って、僕は落語家になって、銀杏BOYZは峯田さん一人になった。ずいぶん状況は変わったようだけど、ほんとのところはそんなに変わってない気もする。あぁ僕はなにかやらかしてみたい、そんなひと時を青春時代と呼ぶのなら、僕はまだ青春時代を過ごせている。