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3年目の終わり。

 昨日はクリスマス、そして『3年目の吉笑』最終回。ご予約のお客様と同じくらいの当日券のお客様に集まって頂けて、久しぶりに満員感のある広小路亭での会になりました。ありがとうございます!

 ネタは、『第四者』『道灌』『カレンダー』『悲し笑い』の4席、好きなモノはhow to count one to ten。これまでほとんどのネタを1ネタ1ギミックを原則に作ってきた中で、『第四者』は1ネタ2ギミック制に近いものがあって、それは自分としては珍しい試み。いつもなら「毒見と味見」だけで1本、そして「第四者」で1本拵えようとするところだけど、今回は何となく、というか実際は「第四者」が思っていたより広がってくれなかったからというのが大きな要因ではあるけど、2ギミックを混ぜたのだった。で、実際やってみて、考えるのが大変で効率は良くないけど、本当はもっともっと1ネタにギミックを詰め込めたら面白いのだろうなぁ、と思ったりした。
 とはいえ、この日はなんと言っても『悲し笑い』だろう。もともとは落とした財布のクダリが確か江戸時代の小噺にあって、そこからインスパイアされて拵えた噺。初期衝動としては『笑えない与太郎噺』と『オウム返しを逆手に取る』といったところ。よくある与太郎噺のような雰囲気で始まって、そのあとの展開もオウム返しが基調になっていることから、ある程度流れが想像できる範囲で、最後のクダリ、そのオウム返しのフリが出てきたあたりから雲行きがおかしくなって、最後は息もできないくらいヒリヒリした感じにできれば、というのが設計段階で考えていたことなのだけど、そうするためにはまず与太郎含めた全体の演技が心もとない。台本も構造くらいしかまとまっていないから無駄が多いくせに足りないことも多い。オウム返しの繋ぎ方、見せ方が単調で、工夫が必要、だったりと、本当にまだまだこれから、という感じ。そしてラストがバッドエンドなのも如何なものか、というのはもちろん自分でもひっかかっていたし、随分前に1度だけやった時はあそこまでバッドエンドにならない方法をとったりもしたのだけど、後味気にしたらこの噺をやる意味が無いなぁと思って、今回は一番最初に思いついた方の流れでやることにした。
 結果、今までにない量の感想メールを終わった後から頂戴した。寄り添っている文脈の近そうな方々からは「グッときました」というような賛を、落語を大事にされている?お客様方からは否を、本当に半々くらいで頂いた。そこで痛感させられるのは師匠や先輩方がいつもおっしゃっている落語家はクリエーターであると同時にサービス業でもある、という事実。拵えている段階での自分の中にもちろん賛否両論があって、それでも結果的には今回の方法を選んだのは紛れもなく自分だ。自分のスタンスをサービス業に据えるのであれば「いらしたお客様方に楽しんで頂く」というのが絶対的な基準になるから、その場合は否定的な意見があった時点で失敗したことになってしまう。もちろんサービス業に徹するタイプの落語家さんもいるけれど、多くの方々はクリエーターとサービス業との間、そのバランスを保つために苦労されているのだと思う。もちろん自分もそうだ。
 僕の場合はサービス業と捉えるにしても、一番のサービスの対象は自分自身だと思っていて、仮に自分が客席に座っていたとして、その自分がグッとくるようなネタを常にやっていたいなぁ、と。や、そうでないネタはやってはいけないと思っていて、その絶対的な基準の上でさらに、より大勢の方に楽しんで頂けたらなあ、と。だもんで、昨日のチョイスで自分がGOを出した以上は自分としてはこれで問題無し、と太鼓判を押した形になるから、あとはお客様個人個人がそんな僕をどう捉えるかの問題になってくる。「ご気分を害してしまい申し訳ございません」という気持ちはもちろんある上で、ただ「今後2度とこういう事がない様に、、、」というような事には絶対ならない。なぜなら自分が選んで決めたことだから。そういう選び方をした僕の了見が気に食わない方もいらっしゃるだろうけれど、だからと言ってその部分を合わせに行ってしまうと、自分がグッとくるモノを、という大前提が崩れてしまうから。
 とはいえ、やっぱり僕もサービス業をやっているつもりではあるから、もっと上手に伝える方法は無いのか、良さは削らずに、悪い部分を少しでも無くせないか、というような工夫は忘れずにやっていきたいと思う。

 などなど考えながら、そういう姿勢を貫くためには、安西先生の言葉を借りるなら『断固たる決意』というものが必要なのだと感じた。お客様全員に好かれたいと思うのは表現者として当たり前だけど、自分が表現者であるためにはそこに無理が生じてくるのもまた事実で、その場合、全員に好かれるか表現者でいるか、を自分で決めなくちゃいけなくて、僕は表現者でいる方を選ぶのだけど、少なくない人数の方々から好かれる可能性を自分から切り捨てるのはとてもきつい。それでもそのきついことをやるのであれば、絶対に自分が後悔しないように、自分がやりたいことは何なのか、そこはブレずにもっていなくちゃ自分も、その切り捨てた可能性も浮かばれないだろう。

 思い返せば、『悲し笑い』を初めてやったのは2012年の4月か。その時の勉強会でも少し喋った記憶があるけど、今から考えたら今年の春先のことの予兆だったのだろう、生まれて初めてくらい調子が良くなくて、そういうつらい時に作った噺だからこういうテイストになったのかもしれない。1度やったっきりで、これは手に負えないと思っていたからずっと寝かせておいたのだけど、春先のあれを経験して、今なら少しは実感を伴わせることができるかなぁと思ってやることにしたのだった。結果はまだまだ自分の幸福論などが定まっていないから結局どうしたいのかがはっきりしないし、まだ手に負えないなぁと言った印象だった。

 それでも、良くも悪くも何の印象にも残らない、毒にも薬にもならないようなものを作り続けるよりは、たまにはこうして真正面から自分の内面と向き合うような作品を作ることは必要なんだなと思いました。考えてるだけでも本当にしんどいからたまにでいいけど。

 『3年目の吉笑』が終わった。このブログを読んでくださっているコアなお客様はご存じだろうけど、僕は予定調和が大嫌いだから、当然『4年目の吉笑』はやらない。もともとこの企画は、ダサいし痛いと十分理解しながら、それでもチラシの裏面に自分のバックボーンをさらすことを決めた瞬間から始まった。とにかく、こういう感覚を持った人間が落語をやってます、というのを伝えたいと。その際に、3年目と付けることで多少ハードルを下げようなどというズルい計算をしたのも事実だ。でフタを開けてみたら、実際に同じような感覚を持った新しいお客様の数が増えた。はっきりとわかるくらいに増えた。そのお客様方に継続して注目してもらえるような盤石の質を保てなかったのは本当に残念だと思っているけど、それでもこの会をやったおかげで流れは変わったように思っている。そして来年はその流れに意識して乗ってみようとも思っていたりもする。
 バックボーンをさらすことはもうやめると思う。その時期は過ぎた。自覚はしていなかったのだけど先日、九龍ジョーさんに『チラシの裏面が「俺を見つけてくれ!」っていうキミの悲鳴にきこえたよ。』と言われた。そうか、あれは悲鳴だったんだ。同じような漫画とか音楽とか映画が好きな友達が落語に興味を持ってくれない。他の分野で感覚が近いということは分かってもらえてるはずなのに、落語、というだけで、並列で考えてもらえなくなる。そんなことが本当にたくさんあって、モヤモヤしてて、悔しくて、だからこそ知らぬ間に「俺を見つけてくれ!」という悲鳴を上げてしまっていたのだろうな。そして結果、格好悪かったけど、たくさんの方が悲鳴に気付いてくれて、近づいてきてくれて、頼もしいお客様の数が増えた。本当にありがたい。次は「落語ってこんなに凄いぞ!」と高らかに歌い歩く番だと思っている。そしてそれをできればみなさんと一緒に合唱したい。

 1年間ありがとうございました。