News

ユニーク募集

何でもいいからブログは毎日書きな、と前座の頃から師匠に言われている。何度言われたか分からないくらいに言われたけれど、結局毎日書くことはできていない。そしてそれは僕だけでなく、毎日ひたすらに稽古しているストイックな笑二だったり、入門直後で最も師匠の心証を損ないたくないはずの笑笑だったりも毎日更新ができていないところを見ると、そもそも人間はブログを毎日更新するような遺伝子構造を有していないのかもしれない。
毎日更新しない理由としては、書く事がない、時間が無い、面倒くさい、というのが真っ先に思いつくし、毎日更新しなくても破門にはならないと確信している自分がいる、というのも理由の一つだろう。師匠のことが好きだし、師匠をしくじることが一番避けるべきこと、という価値観で動いているつもりの僕が師匠の言いつけを守らない?というのはどこかでブログを毎日更新しなくてもしくじらないだろうと決めつけている節があるからだろう。
同じように師匠から言いつけ、というかアドバイスを何度も頂いているのに全然実行できていない案件があって、それはいい加減実行していかないとダメだなぁと思っている(もちろんブログもできれば毎日更新したい)。
一方で、己の作品以外では沈黙を守るスタイルの表現者に憧れている自分もいる。素の自分を見せることは作品にとってマイナスだ、という考えで頑なに沈黙を守るタイプや、言いたいことは全て作品でというタイプなど、色々な理由でそういう姿勢を保っておられるのだろうと想像できるし、身近な先輩でもそういう方は結構いたりする。
というか、そもそも毎日ブログを更新している人の方が少ないのではないだろうか。落語家だけでなく、自分が興味のある笑いの領域だったり、もっと広げてクリエーター、だったりでもほとんどの方が毎日どころか週一どころかブログの更新すらやっていなかったりする。(当然、師匠もブログを毎日更新していない、という事実)
それでも、師匠が弟子に向かって何でもいいから毎日ブログを更新しな、とおっしゃる言葉からは自身の体験談としてと思えるくらいの強度を感じ取ることができる。師匠が一体どういう思惑でもって我々にそう伝えているのか知ることはできないけど、いくつかの理由は僕の頭の中にある。
ペラペラ喋るよりも寡黙でドッシリ構えた方がカッコいいし、僕も客目線だとそういうタイプの表現者の方に凄みを感じることが多い。一方で、僕の作る落語でなくて、僕の生き方自身が作品と捉える覚悟ができるのなら、毎日ブログを更新するというのは、言いたいことは全て作品で、という考えに矛盾しない。
などと少なくとも自分が持っている中枢のことは結局かかずにその輪郭だけをもっともらしく書き連ねているこの文章は、毎日ブログを更新する、という以外に目的を持っていない。まずは自分を濃くして、それが出来てから薄めて拡散していく段階に入るんだ、という、大先輩からのアドバイスから考えると、こうして元々薄いものを薄く拡散していくことには何のメリットもないように思うけれど、こうすることが逆に自分を濃くする第一歩なのかもしれない、と思ったりもする。いや、嘘だ、そんなの口から出まかせだ。
話は変わるけど、僕は油断するとシリアスになりたがる。二枚目気質なのか、プライドが高いからか、その両方か、それ以外も含めた何かだからなのかは分からないけど、とにかくシリアスになりたがる(ここでいうシリアスは僕でいうシリアスなので、他でいうシリアスとは少し違うかも)。そして、それは今のところ自分の個性だとも思えるので特に嫌だと思っているわけではないけれど、笑いを表現するうえではマイナスに働きやすいと思えるので要改善だったりする。極端に言えば最近は高座に上がっているときだけシリアスから解放されて、それ以外の時はずっとシリアスなのかもしれなくて、それは治すべきだと思っている。そんなことから、家にいる大半を放送室みたいなラジオを聴いてシリアスに抗うべく過ごしているけど、ラジオを切ると途端にシリアスに戻ってしまったりする。もちろん同居人の笑二とのちょっとしたやりとりなんかで、シリアスじゃない方の(シリアスの逆の言葉を知らない)立ち位置で振る舞えたりするのだけど、概ねシリアス。打ち上げでも楽屋でも、一人でも、概ねシリアス。自動的に僕がシリアスじゃない方(言葉募集。)の立ち位置でいられるのはいくらかの同級生の前くらいだったりする。そんなこんなで最近はユニークな友達を募集しているのだけど、まだ見つかっていないし、そもそもユニークな友達募集、という名目で集まってくれる人はユニークじゃないんじゃないか、という懸念もある。我こそはユニーク、という方がおられましたら、ユニークポイントを書いてメールしてみてください。ユニーク募集。