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今野徹さん

日暮里寄席の出番を終えて、急いで駆け込んだパワポカラオケ選手権の楽屋で、イーストエンタテインメントの今野徹さんがお亡くなりになられたという知らせを受けた。

 

まだ五十代とお若く、先月末には酒席を共にしていたこともあって、ひどく驚いてしまった。少し変な言い方だけど、訃報に接して一気に心拍数が上がってギュッと心臓を掴まれたようになったのは家元のときに続いて2回目だった。

 

今野さんと初めてお会いしたのは、落語家になる前。僕がまだイクイプメンの人羅と名乗っていた頃だ。なんの番組かはもう忘れてしまったけど、珍しく出演させて頂いた番組の現場に今野さんはいらした。

 

その次にお会いしたのは落語家になってから。二ツ目に昇進してすぐの頃、NHK Eテレの『おかあさんね~、お!』という番組に呼んで頂いた。以前から交流のあるヨーロッパ企画の永野さんと共演できたこと。そこの現場でイクイプメンの時に今後どうしていくべきかという相談を親身に聞いてくださっていたヨーロッパ企画の事務所の社長である吉田さんと再会できたこと。そして、今野さんと再会できたこと。落語家になる前の自分と落語家になってからの自分とが繋がっていくような、そんな気がしたのを覚えている。

収録現場だった成田東の保育園は、今や僕の作業場の目と鼻の先だ。夜中、自転車で前を通るたびに、収録日のことを思い出す。

 

今年、今野さんから電話がかかってきて、『落語ディーパー』というNHK Eテレの番組に出演させて頂けることになった。毎回、古典落語について深掘りトークする番組で、最後にはその演目を実際に出演者が演じる趣向。

事前アンケートで各演目について、できるか否かに加えて、できる場合はどなたから教わったか、を書く欄があった。何席かはやったことがあるネタも一覧に入っていたけど、立川流という特殊な環境にいる自分は胸を張ってかけるルーツがなかった。もちろん「師匠」とは書けるのだけど、厳密にそのルーツを辿ると、他の先輩方に比べて自分のルーツはおぼろげで、だから全部できないと回答することにした。

そんな状況だから、そこになぜ自分が座っているのか分からなかった。同じ立川流でももっと適した先輩後輩はいるし、それなのにどんな顔をして自分は出演すれば良いんだろう?そう思うと同時に、自分からせっかく頂いた出演オファーを断るという選択もできなかった。

打ち合わせの時も、1日目の収録が終わった時も、今野さんに「僕、ここに座ってていいんですかねぇ?」と聞いた。決まって今野さんは「吉笑さんの論理的なアプローチがこの番組にとっては必要なスパイスですから、何の問題もないですよ」と言ってくださった。そうなのかなぁと思いつつ、結果4本とも端っこに座って偉そうにあーだこーだ喋った。

 

そんな落語ディーパーが局内で良い賞を獲ったとのことで、みんなで美味しい鍋を食べに行った11月。今野さんは声が擦れていて、あとは歩くのも辛そうだった。見るからに満身創痍。「腰を痛めちゃって」という言葉を鵜呑みにした僕は「やっぱり年を取ったら色々ガタが来ますか。僕も最近太っちゃってそろそろやばいなぁと思ってます」みたいなことを言ってしまった。今野さんがまさかそんな状況だったとは知らなかったし、本当に腰痛とただの風邪なんだと思っていた。

 

 

告別式に参列させて頂いた。

 

巡り合わせで、なぜか最前列の席に案内された。隣には各協会の師匠方が座っておられているからめちゃくちゃ緊張しながら、意識して遺影ばかりを見続けていた。

 

遺されたご家族を目の当たりにすると、こみ上げてくるものがある。僕の両親はありがたいことにまだ元気だから体験したことはないけど、父ちゃんや母ちゃんが亡くなったらどんな感じなんだろうと想像して、心臓がギュってなった。

人はいずれ死ぬ、とは分かっているけど、やっぱりツライ。それに早すぎる。

 

遺影を眺めながら、何で僕を落語ディーパーに呼んでくださったのだろうと改めて考えた。落語界に顔が広い今野さんだから、他にもたくさん候補は浮かんだだろうし、もっと適した方もいただろうに、なぜか僕を呼んでくださった。それは何でだろう?何で僕だったんだろう?

ただの気まぐれなのかもしれないけど、僕にとっては何かそこに意味があるように感じてしまう。意味があって欲しいと思ってしまう。

 

葬儀場からの帰り道。天気が良かったこともあって、いつもより遠回りをして帰った。そのとき、ありきたりだけど、自分もいつか死ぬんだなぁと思った。そして、いつその日が来てもいいように、後悔ないようにしなくちゃなぁと思った。

 

夜には渋谷らくごで新作落語のコンテストが控えていた。8日の独演会であらかじめネタは試しているけど、もう少しマシな形でできる気がしていた。本番までにできるところまででいいからテコ入れをしようと決めて、後半の展開を追加し、くすぐりを増やして、全体を貫くマクラを決めて、高座に上がった。

もちろん、そんな一瞬で劇的に良くなるほど、落語は甘くない。

でも、それを続けていくしかないなぁと思った。

 

大賞に選ばれた駒次兄さんがみなさんに祝福されているなか、暗い舞台袖で、なんで自分が落語ディーパーに呼ばれたのかまだ考えていた。相変わらず答えは見つからなかった。ただ、その答えが見つかるころには、少し良い落語家になれているんじゃないかなと思った。

 

今野さん。これまでお疲れ様でした。

ご冥福をお祈りします。