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広告案件

 先日急に話を頂いて、今日は朝から目黒にあるスタジオへとある広告案件の収録に行ってきた。呼んでくださったのは倉本美津留さん。撮影自体は倉本さんが仕切られる現場の特徴でもあるのだけど、とにかくさくさくスピーディーに進むので、演者としては必死に言われたことをこなしていくうちに気がつけば「オッケー」となるのだった。
 他人以上に演者として自分の立ち振る舞いを客観視する能力が乏しいので、こういう現場だとまだまだ自分の創造力を発揮することができず、とにかく言われたことをやることに終止することになりがちなのだけど、この辺り、やっぱり言われた以上のモノを提示できるような演者になりたいなぁと思った。

 それにしても、今日は記念すべき1日となったのだった。
 これはまだメルマ旬報でも書いていないし、もちろん他の場所でもほとんど言っていないことなのだけど、こういう広告案件で倉本さんと仕事をするのは初めてではなく、落語家になる前、結構一緒にやらせて頂いていた。その頃の僕が何をしていたのか、は、またいずれちゃんと書くとして、とにかくお笑い芸人と構成作家の間、みたいなヘンテコなポジションで活動をしていた僕は、倉本さんと色々な仕事を一緒にさせて頂いていた。ざっと羅列すると、NHK教育の「シャキーン!」では当時、MCのお二人以外で”人間”として出演していたのは僕たちだけだった。これは準レギュラーだったからずいぶん出演させて頂いた。「TOKYOブレイクする〜」というBSでやっていたアーティスト紹介番組にも出演させて頂いたし、そこから派生して憧れの「美術手帖」にネタを掲載させて頂いたことも覚えている。それこそクイックジャパンなんかにも何度か掲載して頂いたし、サイゾーもあったかな、そして今回の様な広告案件もいくつかあって、印象的なのはある写真メーカー?のWEBドラマ。これは、とても勉強になった現場だった。尊敬している芸人さんと初めてご一緒させて頂いたっけ。そして、有名なインスタントラーメンのWEB動画。今やノリノリの芸人さん2組と僕たちという座組で計3回くらい収録をさせて頂いた。
 こうやって羅列してみると、落語家になった今よりも落語家になる前の方が色々なモノに出演していたみたいで、ちょっと情けなかったりもする。まぁこれはこの先逆転できるように頑張っていくとして、このWEB案件の収録での出来事も自分が落語家になろうと思ったきっかけの1つだった。

 上に書いた全ては倉本さんが作家だったりブレーンで関わられていた企画で、色々とご縁がありかわいがってくださっていたこともあって、要は倉本さんのバーターで僕たちは出演することができていたのだった。もちろん上記以外に地力で獲得した仕事もたくさんあったけど、それでも倉本さんにはずいぶんお世話になった。本来ならそこでしっかり力を発揮して、実力で次の仕事に繋げていけたら良かったのだけど、若くて経験もなく、今以上に実力不足だった当時はとにかく現場の流れを壊さないように振る舞うくらいが精一杯で、それこそ求められているもの以上のパフォーマンスをすることなんて夢のまた夢だった。
 そういう現場をいくつか経験していくうちに「何者でもない自分」というのがすごく邪魔になってきた。「お前たちは誰だ?」という問いに対して、”お笑い芸人”だったり”劇団”だったりそういう明確なスタンスを提示することすらできなくて、まぁそれは、そっちの方が面白いからと思ってあえて自分達の肩書きを固めなかったところがあるのだけど、せっかく呼んでもらった現場でも自分達が何者でも無さ過ぎて、かと言ってすごいパフォーマンスができるか、と言ったらそうでもなくて、その時の極端に言ったら虚しい気持ちというか、悔しい気持ちというか、そういう経験が後に、”落語家”という伝統を下敷きにした確固たる肩書きに憧れを頂くようになったのだった。

 それから6年ぐらいたって、ようやく今日そういう広告案件の現場を再び経験することができたのだから、そりゃ今日は大切な1日となったのだった。
 最初に書いたように、やっぱり求められているモノ以上の何かを提示することはできずに、とにかく流れについていくだけで精一杯だったからまだまだ思う様には行かなかったけど、それでも「落語家の立川吉笑です」という入り方で現場に挑めることはとても快適なものなのだった。今回はあまり”笑い”の要素はない収録だったのだけど、そう遠くない将来、”笑い”の現場で落語家としてきっちり仕事ができるようになれたらと思う。
 とにかく6年前のあのモヤモヤを解消することができただけでも今日は良かった。

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