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限りなく透明な果実

 高座上の僕は、自分のイメージで言うところの”開いた状態”でいることが多いから、高座の立川吉笑の印象を手掛かりに高座以外の僕と会うとあまりの喋らなさというか感情が表に出ない具合に驚かれると思う。
 
 例えば高座でもなんか色々なめぐりあわせで”開いた状態”でなく極端に閉じた、言ってしまえば不条理感を前面に出そうとしている状態のこともあるし(そういう場合は大抵面白くない高座になってしまう)、普段の僕も立川吉笑として振る舞っている時は高座上と近い精神状態でいることもあるし、お酒を飲んだら高座上の状態に近づいていくか、もう一方ではとてもケンカ腰な、何にでも噛みつこうとする状態になったり、もちろん色々と自分の中で変動があるわけだけど、平均的には無口だったりポーカーフェイスだったりすることが多くて、そして最近気づいたのはたまに本当に人の目を見られないような精神状態になる日もあることで(しかもそれが少ないわけじゃない)、自分でもそのきっかけがどこにあるのかは分からないのだけど、そうなるとどれだけ中の良い友達だろうと先輩だろうと彼女だろうと、目を見て話すことができなくて、というか一緒にいてどう振る舞ったら良いのか分からなくなって、いくら変動があると言ってもそこまでのブレがあるのはちょっとおかしいんじゃないかと思い始めた最近。

 思い返せば学生時代からその気があって、コミュニケーション能力が低い訳じゃないから人間関係を築き始める入学当初とかそういう初対面のような場では”開いた状態”でいるようにするから友達もすぐにできるし輪の中心近くにいることがほとんどなのだけど、少し気を緩めて”開いていない状態”を出し始めると途端にノリが悪いヤツに映るし、さらに誰であれ目が合わせられない状態の日なんかも混じってくると、それは日が経つに連れて輪の中心から自分が遠ざかるのは当然で、そうなってくると必然的に学生時代の友達は少なくなってしまった。
 ひとつややこしいのは、一度は輪の中心に近づいているから(しかも名前が珍しいから)、学校内知名度?は結構高い方のはずで、だから今でもどこかであえば「お~」とすぐに分かってもらえることが多いはずだし、同窓会に行っても結構印象に残ってるヤツのグループに位置付けられるはずなのだけど、ただ普段から連絡取り合うような友達が極端に少ないというねじれた状況におかれていることだ。輪の中心からめちゃくちゃ遠いところにいる、いわゆる学生時代に人気無かったグループのヤツらも、それなりに連絡を取り合う友達はいるはずだけど、それが僕は極端に少ない、というかさっきから極端に少ないとかぼかして書いているけど、今でも普段から連絡を取れる友達は小学校時代0人、中学校時代0人、高校時代2人、大学時代0人、という体たらくだ。書いていて、深刻さがよりくっきり浮かんできた。小学校時代はガキ大将的なポジションで学級委員とかもやっていたしかなり目立っていたのに、いまや友達0人。中学校時代は生徒会長で、野球部のキャプテンで、と文武両道を絵に描いたようなヤツだったのに、いまや友達0人。高校時代は文化祭で漫才や音を仕込んだコントのようなことをやって、それこそドカンドカン笑いをとったりしていたのに、いまや友達2人。大学時代はまぁ1年しかいかなかったし、最初から辞めるつもりだったからしょうがないか。

 
 などなど書きつつ、別に友達がいないということを今日は書きたいわけじゃなくて、なんかそれってヤバいなぁと思いだして、というのもせっかく6年間なり3年間なりを一緒に過ごしてそれなりに関係を築いていたのにそれを無かったことにするのは勿体ないんじゃないかと思うようになって、だからとりあえずフェイスブックで友達申請というものをやるようにしてみたのが最近のこと。ツイッターのフォローもそうなのだけど、これまでは僕のゆがんだ自意識が邪魔をしてこちらから友達申請したりすることができなかったのだけど、思い切って自分から友達申請するようにし始めたのだった。とは言え、パソコンの前で深呼吸して、エイヤっ、と勢いをつけてようやくクリックできるくらいの感じなので1日に5人くらいずつしか申請できないのだけど、とりあえず「もしかしたら知り合いかも?」と表示されたアイコンの中で知り合いがいたらできるだけ友達申請するようにしていて、そうこうしていると卒業以来会ってなかったヤツがいま何やってるか、とかが漏れ見えてきて、それに励まされたり、相変わらずだなぁと思ったり、自分も頑張らなきゃなぁと思わされたりしている。

 そんな中で、特に印象的だったのは中学時代の友達だったO君と大学時代の先輩のサトルさん。2人とも音楽仲間というか、僕が音楽をちょっとやっていたわずかな期間に関係していた人。
 O君はゆずに憧れてアコースティックギターを買って独学で練習した友達。Fコードが中々抑えられなかったような頃からずっと一緒に練習をしたり、初めてオリジナル曲を作ったのもO君とだったし(ちなみにOverというクソださい曲)、そういや鴨川とか市役所前で一緒に路上ライブをやったりもした。
 サトルさんは1年だけ行って辞めようと思っていた大学で入った軽音楽部の先輩。確か1つ上の学年だった気がする。O君とギターの練習を始めた中学時代、そして8チャンくらいあるマルチトラックレコーダーを買ってそれこそドラムパターンを打ち込んだりそこにギターを入れたりして、ひそかに乏しすぎる音楽生活を楽しんでいた高校時代を経て、ついに人の前で音楽をやろうと(というか、それくらいしか大学に行く目的が無かった)奮い立った大学の軽音楽部にサトルさんはいた。僕は高校時代から好きになったゴイステとかブルーハーツとかのコピーバンドを同級生と組んでいて、サトルさんはミッシェルのコピーとかやられてたのかな、15組くらいあった軽音学部内バンドのうち12バンドくらいは僕が組んでたSTUPID(名前ださすぎ、、)と同じように趣味として楽しみながら活動している感じで、残り3組ぐらいはMOJOとか(けいおん!に出てくるあのライブハウス)のライブハウスでも活動していくくらいのモチベーションで活動しているバンドだったり、それこそいま、アニメの劇伴を作る仕事をされている方が所属していたバンドだったり、ゲーム音楽を作ってる人が所属されていたバンドだったり、当時の僕からみたらプロを意識して活動されているバンドがあって、サトルさんのバンドはたぶんその3組じゃなくて趣味の延長みたいな感じだったと思うのだけど、ただ、「いや、それ歪めすぎやろ!」とツッコミたくなるくらいにディストーションをかけたギターを、「いや、それ音大きすぎやろ」とツッコミたくなるくらいの音量で掻き鳴らすサトルさんは明らかに教育大学にいてはいけないくらいの独特な雰囲気があって、不思議なオーラも含めて「なんかこの人ヘンだなぁ」と感じていたのだった。いつかのライブの時、音チェックをされてるサトルさんを見ていたら、「いや、大きすぎるやろ!」といつも内心ツッコんで笑っていたあのギターの音量を、かなり入念に調整されていて、その時にPAさんにおっしゃっていたのが「ボーカルをもう少しギターに埋もれてる感じに調整してください」ということで、ただ大きくしてるだけじゃなくて、こだわりがあるんだなぁと驚かされたのをとても覚えている。
 当初の予定通り1年で大学を辞めて僕は笑いの道に進み出して、それ以来サトルさんと会うこともなかったのだけど、つい最近フェイスブックの「もしかして知り合い?」欄にサトルさんとO君が表示されて、懐かしくなって今何してんのかなと思ってちょっとネットを探ったら、2人ともまだ音楽をやってらしたから、なぜか分からないけど嬉しくなった。
 ただ、明暗くっきり、というか、まぁ言ってしまえば当然ながら僕も含めて3人ともまだ暗の真っ只中にいて、ようは全然どうにもなっていないのだけど、それでもサトルさんのいまの音源を聴いてその変わり具合にとても驚かされたのだった。僕のイメージではギターロックというか、もっと言えばグランジに近い、重たーいゴリゴリの音楽をやってらしたし、もちろん好みもそうだったと思うのだけど、いまやってらっしゃる『限りなく透明な果実』という名前のサトルさんのバンドはもっとポップで歌詞も日本語だし歌唱法も全然違うし、当時の音作りからは考えられないくらい変わっていて、僕が大学を辞めてからの10年間、どういう日々を過ごしてこられたのかは分からないけど、それでも一筋縄ではなかったのは容易に想像がつくし、まぁ10年経てば人なんか変わって当然だと思うけど、なんかそのサトルさんが変わったこととか、その変わり方が嬉しくて、わー!と思わされたのだった。一方的に生意気なことを書くと(まあ聴いた音源も2年前とかのだから、今はまたもっと違うと思うけど)音源を聴いた瞬間にパッと2組のバンド名が浮かんで、ということはそれは新しいことじゃなくてすでにあるそのバンドのフォロワーになってしまっているということで、さらに僕も東京に出てきて何件か観に行ったライブハウスに出てくるいわゆるインディーズバンドのレベルの高さも知っているから、簡単にどうこうなれるわけじゃないだろうけど、それでもこっちの方で勝負しよう、という作戦というか牙も確かに見えていて、何かそれが頼もしくて、当然自分も頑張らなくちゃなと思わされたのだった。
 一方でO君も関西で音楽を続けているようで(それがどれくらい本気なのかは分からないけど)ただ、歌とか演奏はもちろんめちゃくちゃ上手くなっていたけど、14年くらい前の一緒に演って時とほとんど演ってることが変わってなくて、それはそれで凄いけど、なんかサトルさんの件と同時期にそれを知ったから、

まぁ言ってしまえば当然ながら僕も含めて3人ともまだ暗の真っ只中にいて、ようは全然どうにもなっていないのだけど、それでも明暗くっきり、というか、なんかそんな感じがしたのだった。とりあえず僕は刺激を与えてくれる人が好きだから、サトルさんが好きだ。調子が悪い日だったらそれこそ目が合わせられずどうにもならないけれど、それでも近々ライブに行ってみよう。

限りなく透明な果実『十字衛星兵』
https://myspace.com/2156423/music/song/-80710289-88903812

 10年前の自分は何をしてたかというと、『モナリザ』というコンビ名でベタベタな漫才をやっていたなぁ(笑)