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楽屋ばなし

 この2日間、夜中にプロフェッショナルを観続けながら、部屋の掃除をしたり楽屋ばなしの編集をしたりした。#62の『節分』と#58.5の『午年』。どちらも旬を過ぎてからのアップになってしまったのは、ただただ僕がサボっただけ。

 毎週土曜日更新で続けてきた楽屋ばなしも60回を超えてきた。もともとは趣味のつもりで、というのも、僕も春吾兄さんもお笑いが好きなのだけど、そのお笑い用の回路というのは普通に落語家として日々を過ごしていても使う機会が少なく、その回路を使う機会を、さらに言えばトレーニング的な意味も込めて続けてきた。

 趣味ベースで始めた当初は、落語家っぽくない切り口の振る舞いというのが新鮮だということもあって、それだけで自分達の宣伝にもなった部分もあるのだけど、最近は少し様子が変わってきて、というのも、僕だけでなく春吾兄さんも新作落語をやり出し、その中で僕たちのやり口がちょっと変わっている、ということが、自分達に興味を持って下さる方々には定着してきたことだ。コンセプトとして楽屋ばなしは即興で何も考えずに話し始めるし、また文章のやりとりだったりしたら書いている最中に消したり増やしたりの微調整ができるけど、リアルタイムに進行していく会話だと意識的に操れる部分が限られてくるから下手をしたら、というか結構な頻度でグダグダになってしまう。やっている側からしたら、基本がグダグダでもどこかで1つでも光る切り口があれば良し、なのだけど、そういう楽しみ方をできる人は限られているというのは容易に分かるし、特に最近だと、僕たちが変わった切り口でネタをやってる、という評判を聴いて、どんなものか検索をして、最初の入口が楽屋ばなしである可能性も往々にしてあるし、二人が活動の幅を広げれば広げる程その確率は上がるから、その時に、こんなグダグダだから大したことないな、などとジャッジされてしまうのは本末転倒なので、どうしようか、ということは年末に少し話したりした。音声コンテンツとしてどこにだしても恥ずかしくないくらいに仕上げようかとも思ったけど、そこでカロリーをかけるのが俯瞰で眺めた場合どうか、とか、本来は趣味とかトレーニングのつもりで始めたものだから、とか、色々な意見があって結果、現状維持で続けようという感じになっている。

 その中で何か流れを変えようと兄さんが思われたのか、これまでは喫茶店とか友達の家とかで録音していたのだけど、今年に入ってからは会議室を借りて録音するようになったり、編集や運営を手伝ってくださるスタッフさんを兄さんが手配してくださったので、それらがこれからどうなるか、自分でも楽しみだったりする。