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障害物競争

 高校を卒業してから1年間、京都教育大学に通った。教育大学は卒業するためには小学校の教育免許と中学の教育免許の2種類を取る必要があって、つまり僕なら「数学」の教師の免許に加えて、小学校の免許も取る必要があって、というか、卒業に必要な単位を取得していけば知らぬ間に2種類の免許が取れる仕組みになっていて、こうなってくると、卒業するために2種類の免許が必要なのか、卒業したら2種類の免許がもらえるのか、どちらが先なのかは、まるで鶏が先か卵が先かの問題のように難しい気がするけど、僕はその答えを持っていて、卒業したら2種類の免許がもらえ、鶏が先だと確信しているけれど、理由は全くない。
 などなど関係のない話は置いておいて、関係のある話をおかないようにするけれど、小学校の授業は基本的に担任の先生が全て行うため、数学だけでなく、国語とか理科とか音楽とか家庭科とかありとあらゆる授業に対応できるようなカリキュラムが組まれていて、そのため大学生になってリコーダーの練習をしたり調理実習で平目のムニエルを作ったりすることになるわけだけど、僕は特に体育の授業では一目置かれる存在だった。
 体育教師の一番の見せ場は運動会の運営だということは、指導教官に会うたびに言われたので今でもはっきりと覚えている。指導教官の名前は忘れたけど、体育教師の一番の見せ場は運動会の運営だということは覚えている。指導教官の顔は覚えているけど、名前は覚えていないけど、体育教師の一番の見せ場は運動会の運営だということは覚えているけど、指導教官の顔は覚えているけど、名前は忘れた。自分が何を覚えて何を忘れたのかはしっかり覚えておきたいと思っていたけど最近は忘れてきている。

 授業の一環で指導教官含めて皆で運動会の運営をすることになった。運動会の運営準備は一般的には2年前くらいから行われる。プロジェクトチームが発足してから最初の1年間は天候予測が主な仕事で、放課後に集まっては各種データを読み解き、2年後の開催予定が晴れそうかどうかの研究をする。天候によって当日の運営段取りが大きく変わってくるのでまずは当日の天候にあたりを付けるのが一番難しい仕事だ。そのため体育教師の多くは気象予報士の資格も持っている。天候と同時に2年後に入学してくる新入生の人数であったり、各々の身体能力をあらかじめ地域の幼稚園や保育園へ偵察に行くことも求められる。1年生はだいたいの場合、集団演舞の基礎、要は皆で音楽に合わせて体を動かすプログラムを行うとこが多いので、振り付けや全体構成を外注する際に出演予定者のデータがある方がより完成度が上がるためである。ただ、この時期の子供の成長速度の速さは果てしないものがあるため、入学式で初めて会った際、思っているよりも身体能力が向上していることに驚かされてしまう。
 そうやって、2年間かけて運動会の準備をしていくことになるのだけれど、昨今の一番のネックはモンスターピアレンツの存在だ。特に我々の授業では、過去にモンスターピアレントだった経験のある指導教官が対モンスターピアレンツのエキスパートだったため、トップクラスの対策を取りうることができた。とにかくクレームを付けられないように、ありとあらゆるリスクを排除していくの作業が求められる。特に有名な対策としては、徒競走でのクレームを軽減するために生み出された、ゴール前で横一線になって並んでゴールする、というものがあり、体育教師は死ぬまでに1つくらいはあれくらい画期的なシステムを考え出したいものだと躍起になっている。
 運動会のプログラムとしては徒競走の他に、組体操があったり、玉入れがあったり、綱引きがあったり、と他にもまだまだ画期的なシステムの発明を必要とするものが多々あるのだけど、我々のチームでは障害物競争のリスクヘッジをその年の最重要課題としていた。
 ゴール前で横一線になる、という手法はすでに特許が取得されており、当時はまだジェネリックのプログラムも無かったため金銭的に導入することができなかった。そこで我々は、順位を付けないという方法が使えない=順位を付けることになる、それじゃあ順位は付くけれど、誰が勝つか限りなく平等になるように考えることにしたのだ。そもそも障害物競争自体が明治初期に、足が速い子が有利なのはおかしい、という徒競走に対するモンスターピアレンツからのクレーム対策として、走力以外にバランス感覚だったり跳躍力だったり、総合的な身体能力で競わせる、という目的で生み出されたモノであり、我々は先人の築き上げた、さらにその先へ人類を誘おうと意気込んだのだった。
 とにかく方向性はシンプルで、障害物競争は障害を設置することによって、ランナーの有利不利をできるだけ無くす、という性質のものである以上、我々はとにかく障害の質を上げようと試みたのである。典型的な障害物競争だとハードルを飛んだり(跳躍力による優劣)、ハードルを潜り抜けたり(身体の大小による優劣)、平均台を通り抜けたり(バランスによる優劣)、三輪車を漕いだり(三輪車センスによる優劣)するのだけど、ある日、僕は気付いてしまった。確かに色々な障害があるから足が遅くても体が小さければハードルは潜り抜けやすいし、体が大きくてもバランス感覚が秀でていれば平均台は通りやすいし、とランナー毎の有利不利をうまく相殺できている気がするけれど、そのどれもが基本的には体育会系的発想によるものじゃないかと。体育教師が体育会系的発想になるのは仕方ないのだけど、幸い僕はそもそも数学教師になろうと思っている非体育会系の人間だったのだ。そんな僕が考え出した障害は、体育教師達の心を打ちぬいたようで、指導教官から今度の運動会学会で発表したいとまで言われた。その際、連名で発表させてくれ、と言われたのは腑に落ちなかったけど、車代という名目で2万円もらえたから言われた通りにした。

 去年の秋、散歩をしていると近所の高校で体育祭がやられていた。ちょうど障害物競争が始まりそうだったので眺めていると、跳び箱やフラフープ廻し、麻袋に入ってピョンピョン飛ぶやつに続いて、皆が机に座って紙に向かい始めた。運動能力に自信のある体育会系の生徒にとっての一番の障害は数学だろうと、レース中盤で数学の小テストを設けるという僕の案がこの高校でも採用されていた。ようやく小テスト障害に辿りついたみるからにガリ勉タイプの生徒が一番に小テスト障害を通過していった。その子がゴールテープを切ってから5分ほど経ったけど、他の生徒は机の前に座ったままだ。どうやら問題が難しすぎたようだ。体育教師が生徒の学力を過信していたのが原因だったのだろう。「あー、これはクレームくるだろうなぁ」と思いながら昔を思い出して懐かしくなった。教師でなく落語家になった僕は、再び落語を口ずさみながら歩き始めた。遠ざかる校庭から「2組がんばれー!」「集中集中!!」「最後まであきらめないで!」「共通因数でくくった方がいいよ!」「計算ミス気をつけて!」などなどたくさんの声援が聴こえた。青春っていいなぁと思った。