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サイコロ炒め

 「料理のさしすせそ」についてはさておき、引き続き料理の話をしようと決心したのは僕であり、あなたではない。料理のルールブックを紐解くと、主に「煮る」「焼く」「蒸す」という3つの技があり、その3つの技と「料理のさしすせそ」の掛け合わせによりほとんどの料理を作ることができると書かれていたかどうかは知らないながらも、「煮る」か「焼く」か「蒸す」かすれば概ね料理をしたと評して頂けるようなので、僭越ながらその3つの技について稽古を始めている次第である。
 落語もそうだけど、何事も基本が大事ということで、いまは「焼く」パートの基礎である「炒める」ことの基礎を勉強している。「焼く」と「炒める」の違いは分からないけど、共に火偏であるから「炒める」は少ない火で何かすることなのだろう。「焼く」の方は右側がどういう事なのか知らないので知らない。
 正直なところ「炒める」ということなど赤子の手を捻るより容易い事だと思っていた。実際、赤子の手を捻るのはそれが自分の赤子だったら特に、そして他人の赤子でもかなり難しいことなので、「炒める」ということは赤子の手を捻るより容易いことだったのではあるけれども、というか赤子の手を含めた、人間の手を捻るのはよくないことだと肝に銘じていたい。
 それにしても、フライパンに油をひいて炒めたいもの(ネジとかLEGOとか短くなった鉛筆とか)を入れてフライパンを動かせばいいだけのことだと思っていたら、そうだったので、やっぱりな、と思った。とは言え、うまい人が炒めるのと僕が炒めるのとでは炒め具合の精度が全然違うのもまた実際のところで、一昨日うまい人と一緒にネジを炒める機会があったので炒めたのだけど、うまい人の炒めたネジは均一に火が通ってしかもパラッとしていたのに、僕の炒めたネジはベチャベチャしていたり、ところどころ生だったりしたのだった。ネジだから、僕の炒めたネジもうまい人の炒めたネジもどちらも食べられないのだけど、もしネジを食べる世界観の生き物がいたら、僕の炒めたネジよりもうまい人が炒めたネジの方がおいしいと思うだろうなぁと思った。
 「どうしてそんなにうまいのですか?」と聞くという、いわゆる質問する、という動作をしてみたら「練習をしたから」とのことだったので、すかさず練習方法を聞いて昨日から練習をしているところだ。ローマは一日にしてならず、という当たり前のことを改めて言いたがる人がいるから小学生のころから何でだろうと気になっていたけど、それはいわゆる「ことわざ」と呼ばれる技だったようで、このローマは一日にしてならずということわざが一日で作られたのかどうかは知らないけど、たぶん2時間くらいあったら作れるような気がするのでたぶんそうだ。それはさておき、いや、まぁそれ以外もおいておいた方が安定するから基本はおいておくのだけど、ローマは一日にしてならずと同様に炒める練習をしてもそう簡単に炒めるのが上手くなることはないようで、僕はまだ炒めるのがうまくなっていないけど、それでもうまくなっている。
 うまい人に教えてもらった練習法はその世界では「サイコロ炒め」と呼ばれる練習法だ。その名の通りフライパンに初心者は10個のサイコロを入れて炒めるのだけど一つ制約があって、油を引いて熱したフライパンにサイコロを入れるさい「1」の面が上を向くように入れるのだ。それも手際よく。そして10個のサイコロを入れ終えたらフライパンを上下にゆすってサイコロを半回転させるのだけど、この時10個全てのサイコロが「6」の面を向いていたら、うまい人なのだけど、僕が炒めたら「6」の他に「3」とか「2」とか、色々な面が向いてしまうので難しい。本番では「1」の面が上を向いたサイコロを10個入れたらフタをして中が見えなくなるようにしてから10回フライパンをゆするのだけど、うまくやれば10回ゆすったら再び「1」の面が上を向いているはずなので、理想形はサイコロ10個の出目の和は「10」になっているのだけど、実際にやってみると「3」とか「5」とか、別の出目も出てしまい、よって和は「10」よりも大きくなってしまうのだ。初めてやった時は「34」だったのだけど、何度も練習するうちにようやく「32」までスコアを下げることに成功した。それでもとにかく「15」を切らないと次のステップには進むことができないのでまだまだ練習あるのみという現状だ。僕もうまい人みたいにゆくゆくは1000個のサイコロを炒めた和が1005をきるような、そんなプロの炒め人になりたいものだと思うけどそれは夢のまた夢だ。